発達障害について

 発達障害は見えづらい障害とされ、脳の機能障害による不適応状態が本人のわがままや育て方の失敗と捉えられてしまうことが多いとされます。例えば、「わがまま」「自分勝手」「親のしつけがなっていない」「ちょっと変わった子供」「集団でトラブルを起こす子供」といった誤解を生じやすいと言われています。
 本章では、「発達障害」とはどういうものか、また関わっていく上でどのようなことを大切にすればよいのか考えてみたいと思います。

まず発達障害の定義について見ていきますが、発達障害者支援法の第二条1項に「発達障害とは、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるものをいう。」と記されています。これが発達障害の一つの定義と言えます。
 また医学的には「神経発達障害群/神経発達症群(Neurodevelopmental Disorders)」と呼ばれるカテゴリーに属する疾患群とされています。近年まで、医学的な診断基準には「発達障害」というカテゴリーはありませんでしたが、2013年に発行されたDSM‐5(精神疾患の分類と診断の手引き 第5版)において位置づけられました。
 現在では、表1の障害が発達障害に含まれるとされています。

 次に、小・中学校に通う児童・生徒のどのくらいの割合が発達障害とされているのか、考えてみます。2002年に文部科学省が実施した「通常学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に対する全国実態調査」において、知的発達に遅れはないものの、学習面や行動面の各領域で著しい困難を示すと担当教師が回答した児童生徒の割合が6.3%にのぼることが報告されました。その後2012年に発表された「通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果」において、知的発達に遅れはないものの学習面又は行動面で著しい困難を示すとされた児童生徒の割合は6.5%であると報告されていました。これらの調査は、対象地域、学校や児童生徒の抽出方法が異なることから、単純な比較をすることはできない点に留意する必要があります。また医師等の診断を経たものではないため、障害と断定することはできませんが、小・中学校の通常の学級に在籍している児童生徒のうち、アスペルガー症候群・LD・ADHDにより学習や生活の面で特別な教育的支援を必要としている児童生徒が約6パーセント程度の割合で存在する可能性が示されています。この6%という数値ですが、30人~40人のクラスにいる子供のうち、2~3人くらいは何らかの発達障害の特性を持っているということになります。
 本章では、特に自閉症スペクトラム障害、学習障害(LD)、注意欠如多動性障害(ADHD)を取り上げ、それぞれの特性と支援について話を進めたいと思います。

 自閉症スペクトラム障害は、発達障害の中で最も認知度が高いのではないかと思われます。ASD(Autism Spectrum Disorder)と略されることもありますが、「社会的コミュニケーションの困難」と「著しく強いこだわり」が主な症状であり、その特徴としては、例えば他者の気持ちを理解することが困難、場面や状況に合った適切な言動をすることが困難、特定のものごと・トピックに強い関心やこだわりを持つ、などがあげられます。
 以前はDSM‐Ⅳという診断マニュアルのもとで広汎性発達障害の一つとされていました(この広汎性発達障害には、自閉症やアスペルガー症候群、高機能自閉症などが含まれていました)。その後、自閉症スペクトラムという広い概念で捉えられるようになり(スペクトラム=連続体)、最新版のDSM-5では自閉症スペクトラム障害とされました。

 言語発達の遅れが見られる自閉症スペクトラム障害のある子供達への指導に当たっては、既に獲得されている児童生徒のコミュニケーション技能に応じて、現実的な目標を設定することが重要とされます。絵カードや文字カード、身振りやジェスチャー、コミュニケーションボードなど、コミュニケーションの形態を本人の技能の獲得レベルに合わせて選択することも必要となります。
 また、多くの自閉症の児童生徒は、年少の頃には他者に関心を持たなかったり、他者からの接近を避けたり、一人でいることを好むとされています。そのような時期に、強引に他の児童生徒と接触させたり集団の中で活動させると、パニックに陥ったり、他者と関わることへの嫌悪感を増大させたりすることにもなりかねません。実際の生活の場では、大人が徐々に接近したり、接触したりするような配慮が必要になります。本人の好きな遊具や活動を通して、大人や少人数の児童生徒と関わるような工夫が効果的なこともあります。
 なお、自閉症において視線の合いにくさが指摘されますが、当事者からは以下のような語りが聞かれます。「なぜ僕が眼を見て話を聞かないのか。みんなにとってその理由は簡単だった-あの子は悪い子だから。……今でも僕は話すときに、視覚的なことで気が散りやすい。幼い頃は、何かに目が奪われるとぴたりと話すのをやめた。大人になってからは、まったく黙ってしまうことは滅多にないが、それでも何かに目が行くと話に間を置いてしまうことがある。だから僕は誰かと話すときには、たいてい特定な物ではなく空間を見るようにしている。……アスペルガー症候群の僕たちは眼を見て話すのが、単に心地悪いのだ。相手の眼玉をじっと見ることがなぜ正常だと思われているのか、僕には全然理解できない。」(「眼を見なさい!」より)一人遊びが多く、人を避けてばかりいる子供(対人回避傾向の強い子供)に対して大人が目の高さを合わせて「こんにちは」と挨拶することは、直接過剰な刺激を与えてしまう可能性もあります。その場合は、侵入的にならないような関わりも必要になってくるでしょう。

 自閉症スペクトラム障害のある子供は、発達早期、知覚的な好みやバイアスとして、人が発する社会的刺激をあまり好まず、むしろそれを避け、特定の物理的刺激により注意を向ける傾向を有しているのではないかと指摘されています(遠藤他,2007)。通常の赤ちゃんにとってはごく当たり前のように魅力的な人の顔や目や声、あるいは様々な感情表出等の社会的刺激に、彼らの関心が相対的に向きにくいとされます。遠藤らは、「自閉症における個別性はきわめて大きく、一般的な理解だけで対応することは難しいことを考えると、心構えの一つとして、私たちが暗黙裡に有している発達や子育ての常識や信念等を自覚した上でいったん脇に置き、彼らにあえて徹底的に巻き込まれてみることがあるのではないか。そうした中で独自の行動傾向が見えてきた先に、あえて巻き込まれないことによって、部分的にでも発達を促すかかわりを行っていくことが重要」と述べています。


 また自閉症スペクトラム障害のある児童生徒は、社会的な相互交渉の問題やコミュニケーションの問題など対人関係を維持することに顕著なつまずきを示します。また、極端に限定された興味や関心、あるいは独特な認知・感覚が学校生活での不安を高め、適応を難しくしている場合があります。それらの特性から、「不安の軽減」と「社会的スキル」の二つを考慮した指導が指摘されているようです。  「不安の軽減」というキーワードについて、自閉症スペクトラム障害のある児童生徒は障害のない児童生徒が何も感じないような状況で不安を感じることがあるようです。彼らの不安の軽減のためには、何が不安を引き起こしているのか、その引き金となる事象を考慮する必要があるとされます。近年、自伝などを通して、自閉症児者が独特な感じ方、考え方、世界を持っていることはかなり知られるようになってきました。彼らの独特な世界や感じ方は、目の前の自閉症児者が何を喜び、何に困っているかを共感的に理解する際の、手がかりを与えてくれるものとして捉えてこそ意味があるでしょう。
 感覚の特異性に関する事例を紹介します。以下は、当事者による対談をまとめた書籍「自閉っ子、こういう風にできてます!」の一節です。
 「雨は痛いじゃないですか。当たると。傘さしていても、はみ出た部分に雨が当たると一つの毛穴に針が何本も刺さるように痛くありません?……シャワーも痛いです。だからお風呂はできるだけかぶり湯にします。」
 「私は雨は痛くないですよ。でも扇風機の風が痛いです。……この年になって、先日初めて母に『扇風機の風が痛い』って言ったら『変ってるね』って言われました。それで、なんだみんな痛くないのか、と。」
 これはアスペルガー症候群(自閉症スペクトラム障害)の当事者2人の語りです。ある人は、「雨が痛い」という感覚をお持ちです。台風や強い雨などであれば多くの人も痛いと感じるでしょうが、普段の雨を痛いとはあまり感じないと思います。ただ、この方はシャワーも痛いという風におっしゃっています。またもう一人の方は、「別に雨は痛くないけれども、扇風機の風が痛い」ということを話されています。このような感覚の特異性は皆に共通しているわけではなく、程度に差があったりします。
 独特な感覚を持っている人たちのことを、それ以外の人は「変わっている」と思うかもしれません。しかし、その当事者からみれば、独特な感覚は「変わっている」ことではなく当たり前のことだそうです。このような点について理解を示すことは彼らと関わっていく上で重要です。例えば授業中に落ち着きがない子供がいたとして、その子が特定の音に対する過敏さを持っているかもしれない、そのため子供の声など様々な音があふれている教室にいることができないのかもしれない、といったように落ち着きのない要因についても考えていくことができるのではないでしょうか。


 「社会的スキル」という点について、自閉症スペクトラム障害のある人たちは「相手の状況を考える」「その場の雰囲気を感じる」「相手がどのように感じるかを察する」といったことが難しいため、コミュニケーションがうまくいかず、対人面でのトラブルに繋がるという問題が生じてしまいます。場合によっては、幼児期からコミュニケーションの失敗経験が多くなってしまうのですが、そうした場合には、まずはその子の気持ちを理解することが重要です。その上で、ルールをはっきりと伝える、メリハリのある統一したコミュニケーションを心がけるなどの関わりが必要となってくるのです。

 LD(Learning Disabilities:学習障害)の定義は以下の通りです。
 「学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態像を指すものである。学習障害は、その原因として中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害・聴覚障害・知的障害・情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。(文部科学省 1999『学習障害児に対する指導について(報告)』より)」


尾崎(2000)は、LDの子どもが持つ問題の構造を以下のように説明しています。

 LDの定義にあるように、中枢神経系の機能障害がその根本にあり、それによって認知面の偏りが生じてきます。それが、読み・書きといった学習上の基礎能力の習得・使用困難という問題に繋がっているとされています。なお、情緒・行動の不適応症状という心理的問題については、後述します。


 LDの子供達への支援においては、その認知特性を理解することが重要です。例えば「書く」こと苦手な子供について考えてみましょう。
 まず「書く」ことに関する一般的な困難として以下のような点があげられます。

 「黒板の文字を書き写すこと」についてもう少し詳しく見てみます。子供が黒板の文字をノートに書き写すという作業には、「見る → 文字の認識(マッチング)→ 覚える → 書く」という工程があるかもしれません。黒板の文字に注意を向けることが難しい子供、また文字を認識する段階で躓いている子供と、覚えることが苦手な子供とでは、支援は異なってくるかもしれません。子供はどの段階で躓いているのか考えてみることも重要です。
 また「書く」ために必要な力として、以下のような点があげられます。

 では、「書く」ことが難しい子供への支援はどのように考えれば良いのでしょうか?形を正確に捉える事が難しいのであれば、形に注目するような工夫を行うこと、また形を正確に記憶することが難しい場合は、記憶に残るよう覚えやすい工夫を行うことが必要になるでしょう。なお、目と手を協応させることが書くことの困難に影響している場合は、繰り返し練習させることで表現すること自体への意欲を失わせてしまうこともあります。その際には指導の目標を明確にし、枝葉の部分は簡略化することも時には必要かもしれません。
 他にも以下のような支援が考えられます。

 発達障害をテーマにした研修会で、発達障害の疑似体験を取り扱うことがあります。私も大学の講義や研修会で行うこともあるのですが、例えば「書く」ことの難しさを体験する場合には、画数の非常に多い難しい漢字を書き写してもらったり、軍手を二重、三重にはめた手で自分の名前を書いてもらったりします。
「ばら」「ゆううつ」「すっぽん」などの漢字は書くことが難しく、覚えている人にとって問題はありませんが、それを初めて目にする人にとってはあたかも記号のように見えるのではないでしょうか。その複雑な記号を書き写すというのは、なかなかに骨の折れる作業です。そのような作業中に、他者から「ちゃんとよく見て書きなさい!」「何で書けないの!」といった声かけをされることを想像してみてください。おそらくマイナスの影響しか与えないことがお分かりいただけるのではないでしょうか。こういった、発達障害の疑似体験は是非体験していただきたいのですが、難しさを体験するだけでなく、どうすれば良いかという点についても考えることも必要です。

 ADHD(Attention Deficit/Hyperactivity Disorder:注意欠如(欠陥)多動性障害)の定義は以下の通りです。
 「ADHDとは、年齢あるいは発達に不釣合いな注意力、及びもしくは、衝動性、多動性を特徴とする行動の障害で、社会的な活動や学業の機能に支障をきたすものである。また、7歳以前に現れ、その状態が継続し、中枢神経系に何らかの要因による機能不全があると推定される。(文部科学省 2003『今後の特別支援教育の在り方について(最終報告)』より)」


 ADHDの基本症状を紹介します。まず「不注意」については、うっかりミスや物忘れが多い、言われたことを聞いてないようにみえる、注意や集中力を持続できない、最後まで計画を推し進めることができない、外からの刺激で注意がそれやすいなどがあげられます。次に「多動性」の症状は、一時もじっとしていなくて動き回っている、手足をそわそわ動かす、椅子の下でもじもじする、机の下にもぐりこんでしまう、友達を突っつくなどです。「衝動性」は、質問が終わる前にだしぬけに答えてしまう、順番を待てない、他児どうしの会話・遊びに介入する、不適切なほど過剰によくしゃべるなどとされています。
 こうした「不注意」「多動性」「衝動性」の傾向のある子供が全てADHDというわけではなく、「周囲と不適応を起こすほど」であり「その子の発達段階と不釣合いな場合」がADHDとされます。


 ADHDの子供は発達の経過において失敗や叱責の悪循環が生じやすく、自身に対し否定的な認知を行うといった二次的な情緒の問題、いわゆる二次障害を引き起こしてしまうと言われており、彼らの長期予後に対する心理・教育的支援を考えるうえで、ADHD児の自己認知に関心をよせることが重要(中山・田中,2008)とされています。
 中山・田中(2008)の研究では、小学校高学年におけるADHD児の自己評価と自尊感情を定型発達児と比較しています。自己評価の項目は「学業」「運動」「容貌」「社会性」「振る舞い」の5つで、下記のような質問内容でした。

  学業・・・「学校の勉強がうまくいっている」など

  運動・・・「スポーツは何でも上手くできる」など

  容貌・・・「自分の体つきが今のままでよいと思っている」など

  社会性・・「友達はたくさんいる」など

  振る舞い・「とても行儀がいい」など

 詳細は省略させていただきますが、質問紙調査の結果、「振る舞い」と「社会性」において、ADHD児に低い自己評価が認められました。中山らは、「ADHD児は否定的な自己認知を行うとされていますが、小学校高学年の時期においては全領域にみられるものではなく、「振る舞い」と「社会性」において支持される。」と指摘をしています。彼らへの支援を考える際には、こうした点にも配慮することが重要です。

 発達障害とは「相対的な障害の軽さというこの障害が本来もつ性質に加え、『子供』という発達の著しい時期に問題が顕在化すること、加えて、彼らを取り巻く周囲の環境によって障害の状態像が変化する可能性をもつ障害」(小西,2011)との指摘もあります。発達障害のある子供の保護者や担任教師から、「家庭で特に問題はないが、学校でトラブルを起こしてしまう」「学校ではおとなしいが、家の中では荒れている」といった話を聞くことがあります。一緒にいる人や場所、授業の内容など、環境によってその状態像が変化するということも、発達障害を見えづらい障害としている要因なのでしょう。
 また、LDやADHDの節で述べた二次障害とは、子供達が本来抱えている障害とは別に生じる症状のことです。不登校・いじめ・自己評価の低下・様々な心理的問題など、元来の障害に加えて一層望ましくない行動が発現したり、本来なら可能な学習さえ困難になるなどの二次障害が生じることがあります。発達障害のある子供と関わる者にとっては、この二次障害を防ぐことが求められます。
 発達障害のある子供の実態把握においては、学習上の困難さや行動上の問題だけに目がいきがちになってしまいます。しかし、本人ができていること、努力していること、わずかでも進歩したこと、本人が認めて欲しいと思っていることなどを積極的に見出して把握することが重要です。


<主な引用・参考文献>

  • ・発達障害の子どもを理解する 小西行郎 集英社新書 2011
  • ・自閉症児の発達を促す環境づくり-あえて巻き込まれることと巻き込まれないこと 遠藤利彦・伊藤匡 発達112号 ミネルヴァ書房 2007
  • ・学習障害(LD)及びその周辺の子どもたち 尾崎洋一郎他 同成社 2000
  • ・注意欠陥/多動性障害児の自己評価と自尊感情に関する調査研究 中山奈央・田中真理 特殊教育学研究 第46巻2号 pp.103-113 2008
  • ・特別支援教育の基礎・基本 国立特別支援教育総合研究所 ジアース教育新社 2009
  • ・通常の学級に在籍する発達障害の可能性のある特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果 文部科学省 2012
  • ・眼を見なさい! ジョン・エルダー・ロビソン 東京書籍 2009
  • ・自閉っ子、こういう風にできてます! ニキリンコ ・ 藤家寛子 花風社 2004


飯塚一裕 2016 発達障害のライフデザイン支援〔基本篇〕 第一章「発達障害入門」より